ミニマリストの生活手帳

ミニマリストの生活サンプル。一つでも皆様の生活の参考となりますように。

「とりあえず3年」の3年が経とうとしている。

せっかくの勤労感謝の日なので。

勤労について考えてみようと思う。

転職先が数多ある人手不足の世の中で、仕事のやりがい、今の会社で働き続ける意味、転職の考え方について、つらつらと書いていく。

回りくどい言い方をするが、興味があれば読んでいっていただきたい。

仕事のやりがい

人は感謝されることでやりがいを感じる。
給料は生きるための手段であって目的ではない。

立ち読みした本だったもので、何というタイトルかも忘れてしまったが、とある本にこのようなことが書いてあった。

その本では、説の裏付けの例として、部活動のマネージャーを挙げていた。

労働の見返りとしての給料を受け取っていないにもかかわらず、活き活きと雑務をこなしている。
それは部員からの感謝があってこそなのだ、と。

少し、わたしの話をしよう。

わたしの職はあまり触れ回るような職ではないために具体的なことは申し上げないが、今の部署の仕事は嫌な仕事だ。

倍以上生きている人生の諸先輩方に会社の看板掲げて上から物言う仕事である。

口でこそ感謝されるが、彼らはわたしに感謝などしていない。

会社との良好な繋がり維持のため、仕方なく感謝の言葉を口にしているのである。


以前の部署の仕事は楽しかった。

特に2年目は。

1年目よりも効率的に仕事を進められるようになった分、残業が減ったため給料こそ下がったが、相手先には個としてのわたしに対して感謝され、異動してきたばかりの上司には頼りにされ、後輩には憧れられ、、、つまりはやりがいがあったのだ。

しかし、思い返してみると、そうした理想的にも思える環境の中にも、いわゆる組織風土に対する不満が募っていたことに気付かされる。

無駄な手続き、不必要な修正、過度な忖度・・・。

明文化された内部規定と暗黙のルールの板挟みの中で、会社への忠誠はいつからか萎んでいった。

これまでは、会社への不満を仕事のやりがいでごまかしていたのですが、今の部署に異動になって仕事内容そのものにやりがいを感じることができず、ただただ疲弊しているのが今のわたしの状況なのである。

秒速5センチメートル

突然ですが、「秒速5センチメートル」という映画をご存知だろうか。

「君の名は。」でおなじみの新海誠監督が2007年に発表した作品である。

物語は3部構成となっており、それぞれ主人公の中学生時代、高校生時代、そして社会人時代の姿が描かれている。

この3部目、社会人時代の冒頭場面でこんな台詞がある。

この数年間とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて。
それが具体的に何を指すのかも、ほとんど脅迫的とも言えるようなその思いがどこから湧いてくるのかもわからずに、僕はただ働き続け、気付けば日々弾力を失っていく心がひたすら辛かった。
そしてある朝、かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが綺麗に失われていることに僕は気付き、もう限界だと知ったとき、会社を辞めた。

-映画「秒速5cmメートル」主人公の台詞より -

映画では、初恋相手のことが忘れられない主人公が、現在の恋人から別れのメールを受け取った後のシーンでこの台詞を述べている。

したがって、「かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが綺麗に失われている」という部分の“思い”の対象の解釈は色々出来るように思う。

現在の恋人に対するものだったかも知れないし、初恋相手に対するものなのかも知れない。

しかし、わたしには会社に対するものであると思えてならない。

今の自分にシンクロしているからである。

「とりあえず3年」の3年が経過

さて、わたしが就職してから「とりあえず3年」の3年が経とうとしている。

入社した時は誰だって、選んだ(選ばれた)会社のために頑張ろうと思うもの。

それが人間関係、仕事内容、組織風土など様々な理由があって、裏切られ、幻滅し、給料を目的に指示されたことだけをやる歯車となっていくのだと思う。

仕事で優秀な人というのは能力が高いということではなく、むしろ当事者意識が強い人なのだと社会人になって思った。

言い換えれば、会社への忠誠心が高く、あるいは仕事が大好きで、あたかも自分の使命であるとも言わんばかりに主体的に頑張れる人が優秀な人なのだ。

指示待ち人間は部下にいらない等と世間ではよく言われる。

しかし、上で述べたことを前提に、わたしは主張したい。

主体性がないのではなく、忠誠心がないのだ。

先天的な個性ではなく、後天的な感性によるものなのだ。

そして、そうなったときが、転職時なのだと。

転職を迷われている方へ

いわゆるブラック企業にお勤めの方や生活できるだけの給料がもらえない方は、勝手な物言いとなりますが、1も2もなく転職しなければならない。

それは命に関わるものだ。

しかし、転職を迷われている方というのは、給料や労働時間だけを転職の理由としているわけではないと思う。

わたしがまさにその一例だ。

そんな人たちに問いてみたい。

会社への忠誠心はまだ残っていますか?

それが綺麗に失われてしまったとき、わたしは転職をするのだと思う。

それまでは、もう少し頑張ってみようと、そんなことを考えた社会人3年目の勤労感謝の日。